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延命望まなかった父

意思尊重し自宅で最期


 医師で作家の久坂部羊(くさかべよう)さん(59)は昨年、父の輝義さんを亡くしました。87歳でした。延命を望まないという父の意思を尊重し、寝たきりになっても認知症の症状が出ても、家族で冷静に見守り、自宅でみとりました。「父の希望通りの最期を迎えられてよかった」と穏やかに話します。


骨折で寝たきり


 父も医師で、定年まで病院に麻酔医として勤めました。「長生きしすぎるのは困る」という考えの人で、以前から「治る病気でないなら必要以上の治療はいらない」とよく話し、入院してまでの延命治療は望んでいませんでした。


 父が寝たきりになったのは2012年5月、86歳の時。自宅の廊下でよろけて尻餅をつき、腰椎を圧迫骨折して起き上がれなくなったのです。それまで要支援1だったのが、一気に最も重い要介護5になりました。


 久坂部さんと妻は、両親とは同じ敷地の別棟に住んでいた。寝たきりの輝義さんの世話を母の久仁子さん(84)だけでするのは大変なため、久坂部さんの自宅の一室に移って一緒に暮らし始めた。


 痛みのせいで父は食欲が落ち、10個は食べていた柿の葉ずしを、1個で「もういらん」という状態になりました。


 物を食べず、水分を取らなくなると、人は死に向かいます。医師だった父はそれを知っていて、「あと10日ぐらいで楽になれるわ」と言いました。家族に「ありがとう。幸せな人生やった」とも告げ、我々もその死を受け入れる雰囲気になりつつありました。


 でも、飲まず食わずが2、3日続いた頃、急に「フレンチトーストが食べたい」と言い出し、作ると食パンを4分の1枚ほど食べました。安静にしていて骨折の痛みが和らぎ、食欲が出たのです。家族は「あれ、お父さん大丈夫なんじゃない?」となりました。


 1か月半ほどたったら、痛みもほぼなくなりました。理学療法士に自宅に来てもらい、立って歩けるようにとリハビリを始めたんですが、父は嫌だったようです。


 しばらくすると、穏やかな性格だった父が、母に「黙っとけ」とどなったり、私が様子を見に行くと、顔をしかめて「しんどい」とうなったりするようになりました。せん妄状態になったんです。


認知症の発症も


 せん妄は、意識レベルが低下して起きる認知機能障害だ。不安やイライラ、幻覚や妄想が発生したり、興奮状態になったりする。


 家族に迷惑をかけて申し訳ないという思いの一方で、すぐ死ぬはずだったのにリハビリをしないといけなくなった。そんな葛藤がせん妄の原因と考え、リハビリをやめる決断をしました。父に告げると静かにうなずいていました。9月にはせん妄は治まりました。


 父の世話は母が中心で、食事の準備や洗濯などは妻の担当と、2人に多くを任せていました。週3回はヘルパーと訪問看護師にも来てもらいました。ただ、父は尿道にカテーテルを入れていたので、その交換は知識と技術のある私の役目でした。


 冬になり、今度は認知症の症状が出ました。


 最初は、「テレビに映っている人を念力で消してやる」と言って、場面が切り替わると「ほら消えた」と。冗談だと思ったら目が真剣で。「さっき昔の友達が来た」とか「今から麻酔をかけにいく」とか、つじつまの合わないことを繰り返し言うようになり、認知症だと気付きました。


 高齢者医療に携わってきた経験から、認知症は誰にでも起こるとわかっていたので、驚きはありませんでした。


 ただ、母や妻は介護に疲れてきました。母は、父の筋の通らない話を聞き流せず、いちいち否定してしまう。妻もストレスを感じていたようです。コップで水を飲むくらいのことは父が自分でできるのに、そんなことまで妻にしてもらおうとするので。


 私も、介護と医師の仕事、執筆に追われ、特に執筆の時間を取りづらくなりました。イライラして、ささいなことで妻に八つ当たりもしました。妻が受け流してくれて助かりましたが、介護で家庭が崩壊してしまっては駄目。妻には「施設に預けることも考えてはいる」と伝えました。


成り行きに任せ


 輝義さんの認知症は少しずつ進行したが、翌13年3月の誕生日には数え年88歳の米寿の祝いもした。しかし、7月、誤嚥(ごえん)性肺炎に。自宅で家族に囲まれ、息を引き取った。


 介護中はしんどいこともあったけれど、医師としてもっとつらい目に遭っている人たちを見てきました。どんなに立派な親子や夫婦でも、壊れることがあるのが介護。うちは、介護の手が複数あるなど恵まれていたと思います。


 私はあれこれ考えて準備するたちですが、介護はどんなに身構えても、なるようにしかなりませんでした。「全部受け入れれば問題はなくなるねん」。父が昔からよく言っていた言葉です。本当にその通りだったと感じています。





 くさかべ・よう 1955年、大阪府生まれ。大阪大病院勤務や外務医務官を経て、現在は大阪人間科学大教授。2001年から、診療所などで高齢者の在宅医療に携わりながら、小説を執筆。著書に「廃用身」「嗤(わら)う名医」「芥川症」など。今年、「悪医」が第3回日本医療小説大賞を受賞した。





 ◎取材を終えて 輝義さんは久坂部さんが若い頃から、普段の会話や手紙で、延命を望まないという死生観を伝えていたという。久坂部さんは「父の望み通りにするのが親孝行」と考え、介護をどうするかで迷ったことはなかったそうだ。病気が進行するなどして治療や介護に関する判断を自分でできなくなる事態は、誰にでも起こる。介護する人の後悔を減らすには、望む最期を早いうちから家族で話し合うことが大切だと実感した。


(2014年7月20日 読売新聞)


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【 2014/10/16 】 訪問看護コラム | TB(0) | CM(0)
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