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多忙なりに父を看病

「仕事やり通せ」約束果たす


 歌舞伎俳優の中村獅童さん(37)は2008年10月、父・小川三喜雄さんを胃がんで亡くしました。79歳でした。


 獅童さんは忙しい仕事の合間を縫って看病を続けました。「限られた時間なりに、やれるだけの介護はできました」と話しています。


胃がん末期

 父が「胸がむかむかする」と体の不調を訴え、東京・本郷の大学病院に入院したのは2007年末のことです。見舞いに行くと、担当医師に呼ばれ、検査の結果、胃がんだと告げられました。


 翌08年1月に手術を受けましたが、すでに末期。回復が見込めない状態でした。しばらくして、余命3か月と母が知らされたそうですが、舞台が忙しかった私には「あまり心配をかけたくない」という理由から、すぐには伝えられませんでした。


 手術後、1月に東京の浅草公会堂で開かれた新春浅草歌舞伎に来て、人一倍大きな拍手をしていた父の姿が印象に残っています。


 余命わずかという事実を知らされたのはその後。一緒に過ごせる時間は少ししか残されていないという事実を改めて突きつけられ、「信じたくない」という気持ちでした。


 三喜雄さんは手術後間もなく、本人の希望もあって東京・杉並区の自宅に戻った。自宅療養を基本にしながら入退院を繰り返す生活だった。


 相変わらず仕事は忙しかったのですが、舞台の昼の部と夜の部の間や、遅くに仕事が終わってから行くようにしました。義務感というよりは、「オヤジの顔がみたい」という気持ちで自然と足が向きました。寝顔を見るだけで安心できました。


 父は、自分の部屋の介護ベッドでほぼ寝たきりの状態。し瓶におしっこを取ったりするのですが、やはり男親ですからお互い気恥ずかしくて困りました。父も「見られちゃったなあ」なんて苦笑いしていました。


 ただ、私自身はおしっこの世話に、全然抵抗感がありませんでした。というのも、小学生の時、体が不自由で車いす生活をしていた同級生と仲が良くて、度々トイレの手伝いをしていた経験があったからです。


 私の家に泊まりにきたこともあり、両親もごく普通に迎え入れてくれました。そういう親の姿勢に、知らずと影響を受けてきたのかも。


 父は、訪問看護師の方に世話をしていただくのは全く平気みたいでした。看護師さんは、笑顔を絶やさず明るい雰囲気で本当に助かりました。


大阪公演中に…


 実家に通う日々を送ってきた獅童さんは、主役を務める舞台のため約1か月間、大阪に滞在しなければならなくなった。


 大阪の梅田芸術劇場で始まる舞台のため、東京を離れる08年9月30日に実家を訪ねました。抗がん剤の影響か少し意識がもうろうとしていましたが、「これから大阪に行ってきます」と声をかけると、「頑張ってこい」と意外としっかりした言葉が返ってきました。「もしかしたら、もう会えないかも」という予感はありました。


 仕事を取るか、看病を取るかは難しい選択ですが、私は仕事の道を選びました。父との約束があったからです。


 父が病に倒れる1年半ほど前、私は、みずから招いた問題で、すべての仕事をキャンセルせざるを得なくなりました。その時、父と色々な話をしましたが、「自分で自分を駄目にするのはお前の勝手だ。だが、周りの人たちに迷惑をかけたことは承知しておけ」と言われました。厳しい言葉でしたが、父は心配だったのだと思います。


 引き受けた仕事は最後までやり通すことが父との約束。そのことでしか、父を安心させることはできないという思いでした。大阪入りしてほどなくして、父は「あいつの悪い部分はすべて俺が持って死んでいく」と母に話したそうです。そのことを母から電話で聞かされた時は、なんとも言えない気持ちになりました。


 三喜雄さんは、大阪での公演中の10月11日、自宅で息を引き取った。獅童さんが知らせを受けたのは、舞台のある日の朝だった。


 父が亡くなったことは共演者やスタッフのどなたにも話しませんでした。演技に影響が出ないように務め上げたつもりです。ただ、劇中で、死んだ父親を抱きかかえたり、天を仰ぎながら「おやじ、ありがとう」と語ったりするシーンでは、さすがに素の感情が出てしまったかもしれません。


 私のように仕事が忙しく、病床の肉親が遠方にいる方も多くいることでしょう。介護や看護というものは、家族構成や病気の種類などによって異なり、正解のない世界です。私の経験から語れることは多くありませんが、努力すれば時間は作れますし、その長短は関係ないと思います。


 結果的に、親の死に目にはあえませんでした。でも、父との約束は生きています。若い頃に歌舞伎役者を廃業した父から引き継いだ「獅童」の名をさらに大きくしていくことが、一番の親孝行。その事は肝に銘じて生きていくつもりです。


 なかむら・しどう 歌舞伎俳優。1972年、東京都生まれ。8歳の時に歌舞伎座で初舞台を踏む。2002年公開の映画「ピンポン」で日本アカデミー賞新人賞。ハリウッド映画への出演など活躍の幅を広げる。今秋公開の日米合作映画「レオニー」で主演を務める。5月9日に東京・よみうりホールで開催される「看護フォーラム」のシンポジウムに参加予定。


(2010年4月11日 読売新聞:ケアノート)


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【 2014/01/30 】 訪問看護コラム | TB(0) | CM(0)
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