ケアーズ訪問看護リハビリステーションブログ

ケアーズ訪問看護リハビリステーション松阪が充実した毎日を全力でサポートいたします
0312345678910111213141516171819202122232425262728293005

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- 】 スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

夫のリハビリ 甘え排す

2度の脳内出血 あきらめない


 小説家の陳舜臣(ちんしゅんしん)さん(86)は、1994年と2008年の2度、脳内出血で倒れました。現在は、日中の大半を車いすで過ごし、執筆は妻の未知さん(81)が口述筆記しています。リハビリを支えている未知さんは、「『死ぬまで作家でいたい』と願う夫を、出来る限り手助けしたい」と話しています。


 夫は現在、要介護5です。デイサービスとリハビリに週に2度ずつ通っているほか、ヘルパーさんにも毎日3、4回来てもらい、訪問看護やショートステイも利用しています。手足が自由に動かせないので食事やトイレなどに介助が必要ですが、ページをめくってあげれば、新聞もじっくり社説まで読みます。


 夫が最初に倒れたのは94年8月、70歳の時でした。兵庫県宝塚市での講演の最中に気分が悪くなり、舞台のそでに戻って倒れたそうです。入院先で当初は意識があったのですが、1週間ほどして容体が急変。水頭症になる危険があったため、手術を受けました。


 後遺症で右半身にまひが残り、計5か月間の入院生活を送りました。新聞の連載小説の仕事を控えていたため、主治医がリハビリに、ワープロの練習を提案してくれました。先生は毎晩病室に来て、読み書きなどにも、根気よく付き合ってくださいました。それなのに夫は、「ワープロは嫌」と言うなど、渋々といった態度で、申し訳なくて。何度も、頭をポコンとたたいてやりたい気持ちになりました。


 字を書くのはまず左手で練習を始め、次に右手を左手で支えれば書けるようになりました。 


 95年1月に退院。5か月ぶりに神戸市の自宅に戻った4日後の早朝、阪神大震災に遭った。けがはなかったが室内はめちゃくちゃになったため、京都で10日ほど過ごした後、震災前から予定していた沖縄へリハビリに出かけた。


 リハビリといっても、毎朝、はだしで砂浜を1往復するだけ。休憩しながら、2人で小一時間歩きました。夫は右足が思うように動かせず、左足は深く砂に埋まる。疲れて時々、泣きそうになりました。でも、泣きたいのは私の方。少し離れた場所で思い切り泣いてから戻り、「はい、始めるよ」と声をかけ、歩き続けました。


 リハビリについて、主治医からも、医師をしている娘婿からも「患者を甘やかすとだめになる。家族は鬼になって」と言われていました。だから私は、鬼になったんです。


 ビーチへの道は坂道で、階段もある。毎日、そんな所を歩いたのもよかったのでしょうか。2か月後、沖縄を離れる時には、つえなしで歩けるようになっていました。 


 舜臣さんは病後、仕事の量を減らし、好きなお酒もほとんど飲まなくなった。毎朝、自宅マンションの庭を散歩し、週3日、プールで水中ウオーキングをするなどして、海外へ取材旅行に出かけられるほど回復した。だが、一昨年1月、自宅で再度、脳内出血を起こし、入院した。


 今度は左半身にまひが残りました。飲み下しができない嚥下(えんげ)障害も起こしたため、胃に穴をあけて栄養を流しこむ「胃ろう」の手術もしました。退院する際に要介護認定を受けると、要介護5でした。


 転院したリハビリ病院で調べてもらったら、のみこみはできるとわかりました。おかゆを食べる練習から始め、3食ともほぼ普通の食事を取れるようになりました。


 病院で立つ練習をする時、夫は「なんでこんなことをするんや」と理学療法士さんに文句を言ったらしいです。その方は文章と写真で、訓練について説明してくれたそうです。夫は「けんかしたけど、親友になった」といい、退院する時は2人とも、涙を流していたほどです。


 長時間の外出は難しくなったのですが、昨年10月、息子や娘、孫ら総勢11人で沖縄に連れて行きました。たった5日間でしたが、知人が紹介してくれた地元の男性ヘルパーさんや多くの方のおかげで、夫は1日ごとに目に見えて元気になりました。


 ビーチに行くのは無理だと思っていたのですが、ヘルパーさんが長い石段を車いすごと持ち上げて運んでくれ、足を海水につけることができました。水族館へ出かけたり、手すりのない湯船につかったりもさせてもらいました。


 「病人じゃないんですよ」。ヘルパーさんは夫にこう話されました。その言葉で夫も「体が不自由でも消極的になってはいけない」と感じたようです。思い切って出かけたかいがありました。


 夫もいい年だから何もしなくていい、と思うのですが、「やっぱり書きたい」と言います。夫に意思がある以上、私も元気でいなければなりません。仕事の依頼が来たと伝えると、夫はいつも「する」と答えるし、取材を受ける時は目がキラキラしてうれしそうなんです。


 去年、沖縄に行った時のように、夫がやる気を出すことで少しでも回復するならと思い、4月中旬から2か月ほどの予定で、また沖縄に滞在しています。車いす生活から抜け出すことをあきらめず、後悔しないようにやるしかない、と思っています。

 ちん・みち 1929年、台湾・台南市生まれ。神戸市立外事専門学校(現神戸市外大)卒。父は貿易商。6歳の時に一家で来日し、神戸市で育つ。21歳の時、神戸市生まれの同胞・陳舜臣さんと結婚。舜臣さんは61年に「枯草の根」で江戸川乱歩賞、69年に「青玉獅子香炉」で直木賞。今年3月に結婚60周年を迎えた。


(2010年5月9日 読売新聞)


ケアーズ訪問看護リハビリステーション松阪
 : 松阪 訪問看護・リハビリステーション
ウインディーグループ
 : 松阪 人材派遣・人材紹介・仕事紹介
松阪 看護師の求人NAVI
 : 看護師・介護士求人情報
託児所ピーカーブー
 : 三重県松阪市で24時間対応
スポンサーサイト
【 2014/02/03 】 訪問看護コラム | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。